
三島の街はせせらぎの街。
JR三島駅南口を降りて5分程歩くと、市街地に湧水とホタルを見る事が出来る三島。このような街は他にはありません。多くの文化人が愛し、作品の題材にもなった三島。
住んでいる私たちにも、訪れる皆様にも「心地よい街」になるように、市民・企業・行政が恊働で環境整備を行いました。
なぜか、ホッとする街”三島”をゆっくりお楽しみいただけるよう、様々なコースをご用意しました。あなたのお気に入りの場所を見つけてください。
優秀観光地づくり賞・金賞 総務大臣賞・都市景観大賞美しいまちなみ大賞 受賞
散策ルート所要時間 5km 約2時間
ルート&おすすめスポット
おすすめスポット紹介
1・楽寿館
豪華な高床式数奇造り。天井や襖には二百十面にも及ぶ装飾絵画が描かれています。
2・楽寿園 小浜池

約一万四千年前に富士山が噴火した際に流れ出た溶岩と、その上に自生した樹木の植生が特徴。明治23年に小松宮彰仁の別邸として造営され、明治27年より一部が三島市立公園になりました。
3・源兵衛川

川の名称は工事に深く関わった寺尾源兵衛に由来します。豊富だった水量は都市化と共に激減し、川の汚染もひどくなりました。平成2年「源兵衛川親水公園事業」の指定を受け流域が整備されました。水も冷却水を流し、現在は美しい水辺環境が取り戻されています。また市民により「源兵衛川を愛する会」が結成され、河川清掃やホタルの幼虫放流などの活動を通して親水公園は維持されています。
源兵衛川のホタル
昔、源兵衛川の流域には多くのゲンジボタルが見られました。しかし、湧水の減少により水量の減った源兵衛川から姿を消してしまいました。しかし平成4年、地元企業による冷却水の供給により、翌年には放流した幼虫が羽化し、源兵衛川のホタルは復活しました。その後、餌の放流や川の管理・清掃により5月初旬にはゲンジボタルの舞う姿が見られる珍しい川となりました。現在、源兵衛川のゲンジボタルは日本で一二を争う早い時期の発生が特徴になっています。
4・蓮沼川(宮さんの川)

<源流:楽寿園の小浜池 全長:1km>
楽寿園に小松宮別邸があったことから「宮さんの川」と呼ばれています。一時、湧水の枯渇で川が汚れてしまいましたが、地域の有志が三島市と交渉し、東レ三島工場から冷却水を流してもらうことになり、現在にような綺麗な川になりました。この地域の人々の活動は「宮さんの川を守る会」として定着し奉仕活動で川を清掃し花壇を設置するなどして四季折々の花を咲かせています。
5・時の鐘

江戸時代、三島の宿場に時を告げていた鐘です。
6・雷井戸
7・水の苑緑地
カワセミ
三島市の鳥に指定されています。カワセミはくちばしが長く、背中の青と胸・腹の橙色の対比が美しい鳥です。早春の頃、雄が雌に魚を渡し、求愛する姿が見られます。現在、都市化と共に餌場を無くし川から姿を消しつつあります。
8・三島梅花藻の里

梅花藻は水の汚れに非常に敏感で綺麗な冷たい水の中でしか育たない水生植物です。鼻の咲く頃は5〜9月ですが、場所によっては一年中咲いているところもあります。三島自生の梅花藻は、残念ながらすでに絶滅しており、現在ある三島梅花藻は柿田川で保護育成されたものを移植したものです。
9・中郷温水池(三島市眺望地点)
中郷温水池は、美しい富士山が眺められることから平成14年に三島市の眺望地点に指定されました。三島市では中郷温水池の他8地点(末広山・山名城跡・施行平・向山古墳群・新町橋・新城橋他)を同じく眺望地点として指定しています。
10・三島暦師の館
三島暦
関東方面の地方暦の中で最も古く、国内でいち早く木版による印刷暦として出版され、技術も優秀でした。河合家の伝承では宝亀年間(770年〜780年)に、祖先が山城国加茂より三嶋明神を観請して豆州三島に下り、その子孫の河合氏が代々暦を版行してきたといいます。
三島茶碗
三島茶碗の呼称の由来の一つに三島暦があります。室町時代末期から桃山時代の茶会記には「三島」「こゆみ(暦)」と記されています。これは侘茶(わびちゃ)を創造しようとする茶人達が朝鮮半島よりもたらされた陶器を愛用し、その象嵌(ぞうがん)模様が三嶋暦の仮名文字に似ていたことから「三嶋手」「暦手」と名付けられたといわれています、
11・佐野美術館

東洋の古美術品が幅広く展示されています。回遊式庭園では、四季を感じることができます。
12・隆泉苑

手入れの行き届いた本格的な日本庭園があります。
13・三島田町駅
14・祐泉寺(大興寺跡・市ヶ原廃寺塔心礎)
大興寺跡
大興寺は、白鳳時代に三嶋大社に関係の深い丈部富賀満の私寺として建立されました。平安時代(836年)に国分尼寺の焼失後、この寺は国分尼寺の代用寺となりました。その規模は市内法華寺附近から北方の祐泉寺・三嶋大社前の旧国道一号線にまで延びた広範囲な地域で、薬師寺式伽藍配置の寺院址となりました。また、祐泉寺境内には当時の西塔の礎石が残っています。
15・三嶋大社神池
16・三嶋大社本殿
17・水辺の文学碑
桜川
源流を菰池公園と白滝公園とし、三嶋大社脇を通り抜け、さらに南へと流れています。白滝公園から三嶋大社にかけての「水上通り」は歩道も美しく整備されています。また、「水辺の文学碑」として、太宰治や若山牧水など三嶋ゆかりの文学者10名の句碑も並び、文学散歩も楽しめます。
18・めぐみの子

「ヨイショ!」のかけ声と共に勢いよく水を汲み上げてくれます。
19・白滝公園

大きな檬の木々があり、心地よい木陰をつくっています。足元には溶岩が露出し、あちこちに富士山の雪解け水が涌き出し、少し離れた菰池からの湧水と合流し桜川となっています。かつてここは三島の一大湧水池で涌き上がる水量が多く滝のように流れ落ちる事から「白滝」と呼ばれた事が名前の由来です。
20・菰池公園

<p公園内の菰池の湧水は桜川の水源となっています。名前の由来は、昔に真菰という植物が群生していたことから名付けられたと言われています。
その他・歴史散策ポイント
孝行犬の墓・圓明寺
幕末の頃、番犬として母子6匹の犬が寺を守っていました。一匹の子犬が病気で死んだ後、母犬も病気になってしまったが、子犬たちは側を離れませんでした。町の人々から食べ物をもらっても食べずに持ち帰り、母犬に与えました。しかし、母犬が死んでしまっても、子犬たちは母犬の亡骸を守っていましたが、ついには子犬たちも死んでしまいました。寺の上人がそれを見て母子6匹のために石碑を建て、人にも勝るその純情を表彰して世の中の人に誡めとしたとされています。
国分寺塔礎石
741年の聖武天皇の勅命により創建された二町(約214m)四方を寺域とする大伽藍の遺蹟です。現存する8個の石は七重の塔の礎石の一部で、その北半分のものです。塔の高さは60m程あったとされています。
三島八小路
江戸時代に東海道・甲州街道・下田街道等の大路に対して、愛称をつけて呼ばれた小路です。当時この八小路の名前をすらすら言えれば三島人の証明として関所を手形無しで通れたという逸話もあります。
<三島八小路:阿闍梨小路・桜小路・上の小路・下の小路・金谷小路・細小路・竹林寺小路・管小路>